さつまいものお味噌汁

先日、カジュアルなランチ会に出席した。
メインのお料理を魚、豚、鶏、和、洋、中から選べるようなメニュー構成で、なにを選んでもサラダとお味噌汁、食後の飲み物がつく。

こういうとき、だいたい注文内容は二分される。
「わたしも」、「じゃあ、わたしも」と、最初に決めた人にならうかのようにおなじ注文が大半となる場合と、まるで回答が誰かと重なったら負けてしまうゲームのように見事バラバラの注文となる場合と。
そればっかりではないのだろうけれど、これまで私の参加した会ではこのパターンがちょうど半々くらいだった。

男女混合、出身も年齢も職業も異なる人たちでの食事だから注文もバラバラになるかなぁと思うと、案外そんなこともなく刺身定食ばかりになったり、カロリーを気にするタイプが多いからみんなサラダランチを頼むのではと思って見ていると、ガッツリした丼物やポテトフライたっぷりのセットを単品のおまけまでつけて注文したり。
予想がつかないからおもしろい。

むかしは、目上の立場の人よりも値段の高いものを頼むのはよろしくないとか、一人だけ早く食べ終わってしまうようなものや、逆に食べるのに時間がかかってしまうものを頼むのは避けるべきだとか、うるさい決まりごとを言われることが多かったけれど、今はそういうのとはまた別の不思議な縛りが存在しているような気がして、そのひみつが知りたいとも思う。

大勢での食事会があまり得意でない私は、そんな注文のようすをじっくり観察できることが参加を楽しむための必須条件となっている。
私の注文はと言えば、食べものの好き嫌いがはっきりしているから、誰がなにを頼もうとも、たとえ他のみんながおなじものを注文するとなっても、自分が食べられる食べたいものを注文すると決めている。
それゆえ、苦手な場ではあるけれど、このときだけは比較的余裕を持っていられるから、あれこれ観察して楽しむことができる。

どんな話をすればいいのかわからない。
大人数での食事会を苦手とする一番の理由はこれだ。
以前は、黙って食事をし、誰かに話題をふられたら答えていればいい、そんなふうに思っていたのだけれど、近頃、それだけでは乗り切れなくなってきた。
年齢のせいなのか、属する人物の傾向からなのか、わからないけれどいつの頃からか、私とおなじく誰かが話をふってくれるのを待つ受動的参加者が増え、食事会が無言でモグモグと口を動かす人の集団と化すことが多くなった。
そうなると、無言の場でどうしていいのかわからないという問題も強くなってくる。
うっすらと店内音楽が流れるだけの空間では、自分の咀嚼音がどこまでも響いていきそうで恥ずかしい。
隣の、またその隣の人が立てるフォークの音に、皿をテーブルに置く音に、「なんとかしろ」と責められているような気もしてくる。

こういうとき、話題の引き出しをたくさん持っていてポンポンと言葉が出て来るタイプの人が居てくれたらと思うけれど、そんな人がいたらそもそもこんな状況にはならないから願うだけ無駄である。
それ以前に他の人はどう思っているのかもわからない。
案外、この状況を良しとしている参加者もいるのかもしれないし、みんながどうにかしたいと思っているのかもしれない。
さて、どう思っているんだろう。
役に立たない考えが次々と浮かんできて、ただただ気持ちが塞いでいく。
ダメだ、耐え切れない。そう思って苦し紛れに、「これ美味しい」、料理の感想をつぶやくのがやっとである。
苦手な食事会で、「見て」、「食べて」、「話す」、この三つが同時にはできなくなるのはどうしてだろう。
すべてが終わるといつも、そんなことを考えては答えを出せずにもいる。

今回の食事会は、いつもおしゃべりな人物が参加していた。
みんなでメニューを眺め、なにを注文するか考えているあいだも、ひっきりなしになにか話している。
だから私は安心した。
これならば話を聞いて食事をしていれば、楽しく時間は過ぎていくにちがいない。
大好物のエビフライを注文し、あとは美味しく過ごせばいいと。

「これ、さつまいもが入ってる!」
全員の前に置かれたお味噌汁に、ほぼ全員が同じタイミングで口をつけると、いち早く、いつもおしゃべりな人物が言葉を発した。
「ほんとだ、さつまいもだ」
気楽に食事ができると決め込み、気がラクになっていた私は相槌を打った。
出汁のきいた薄塩のお味噌汁に甘いさつまいもが美味しい。
たまねぎもそうだけれど、煮込むと優しく甘くなる具がお味噌汁に入っているとホッとする。
自分で作るお味噌汁でも、さつまいもは季節を問わず使用するくらいに好きな具だった。
他の参加者からも、「えー、初めて食べた」、「珍しいね」と発言が続く。
これはもうずっと黙って食べていても安心のパターンだと私は内心喜んだ。

ところが、そんな目論見は、すぐにはずれてしまう。
「なんで入れちゃうんだろう?」
いつもおしゃべりな人物が発言し、私はビックリした。
声こそでなかったけれど、「えっ?」という顔が私以外にもいくつか並んでいた。
「どこかの名物的なものなのかな。そういうのを断りなくふつうに出されても誰でも受け入れられるわけじゃないよね?」
誰からの返事も待たず、いつもおしゃべりな人物がさらに言う。語尾は疑問形だった。
お味噌汁のお椀を手に、誰もなにも答えない。
微妙な間がテーブルに広がった。
「ね? 宗像さん?」
いつもおしゃべりな人物は、よりによって私に同意を求めてきた。
彼女はこの場のなんとも表現できない雰囲気に気付いていないようだった。
たぶん単純に、最初にできた発言の順番に沿って私に矛先を向けただけなのだろうと思う。

私はどう答えればいいのかわからなかった。
私も、今の彼女とおなじように気付かなかった。
彼女が最初に「さつまいもが入っている」と述べたとき、彼女の言葉にはもうその時点で、「入っていてイヤだ」という思いが込められていたはずだ。私はそれに気が付かず、「入っていて嬉しい」という自分の感覚で、「ほんとだ」と話を繋いでしまった。

「あ、そ、そうなのかな?」
返事をしないわけにもいかず、肯定とも否定ともとれない発音の意味不明な言葉を口にして、私はあいまいに笑った。
それしかできなかった。

そこから、そんな食事の序盤に、会の方向が決まってしまった。
なんとくみんな、あいまいな笑顔を見せるだけで口数は少なかった。
いつもおしゃべりな人物がときおり話題を切り出すものの、ひとりふたりがボソボソとなにか述べると、また黙ってしまう。

どうにも居心地の悪い感じの食事会に私は後悔した。
美味しいって思っているのに、なんでそう言わなかったのだ。
とっさに言えなかったけれど、言うべきだったのではと思う。
私がちゃんと言わずにごまかしたから、みんな余計な口を開けないような雰囲気になってしまったのではないか。
そう思うと気持ちが沈む。

私のマイナス思考はどんどん加速する。
おなじように、下がり始めた調子は下げ止まりを知らずに降下を続けていくようにしか見えなかった。

結局、話が盛り上がることも、大きな笑い声があがることもなく、あいまいな感じで会はお開きになった。
つまらなくしてしまったのは私のせいだよな。参加しないって言えばよかった。
これからは断り切れないなんて面倒がらずに断って、参加しないほうがいいのだろうな。
後悔は尽きない。
自分が影響力のある存在だとは思っていないし、それもわかっているのだけれど、失敗と後悔はそれを超越する。
ちくりと刺さってできた小さな傷あとを思い出しては暗くなる。
それでも、またさつまいものお味噌汁を作っているくらいに無神経でもある。
そういうことがいつまでも、ぜんぶ含めて気になって、どうしようもなくモヤモヤしてしまう。

こういう些細なことを気にしていると、「あんたバカ?」と喝を入れられてしまいそうだけれど、そういう性質なのだからどうしようもない。
「小さなことでも生きにくい。でもまあそれは仕方ないことだね」
よくあることに、私はつぶやく。
ほんとうにこんなことばっかりだ。それこれもどうしようもない。

つぶやくことで受け入れて、なんとかやっていく人生である。

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宗像 ちよこ
日常生活をテーマに、エッセイ、散文詩、小説を書いています。 身の回りのふつうのこと、さりげないこと、大切なこと、疑問に思うことを、できるだけ簡単な言葉で簡単な文章で書きます。 そうして作った作品が、読んでくださった誰かの心に、小さなお土産を残せるように、誰かにちょっぴりきっかけを作ることができるように、そんなことを考えて書き物をしています。
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