生け贄

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「やりたいことのためなら、自分を含めて何を犠牲にしてもいいと思ってる」
彼は、言った。

彼は創る。
創る以外のことは全て切り捨て、全神経を張り詰めて、徹底的に孤独となる。それはさぞ苦しいことだろう。だが創るのは彼だ。自らがすぐに犠牲になることはできない。代わりに犠牲となる生け贄が必要なのだ。

そこにふと私がいた。ペットにでもするようにして、ここへ連れて来られた。
彼は決して度を越さない程度に私を可愛がり、決して度を越さない程度に私を大切にした。
私は、完全に手なづけられ、時々頭を撫でられては目を細めていた。

 

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バクリー・イード。
イスラム教のラマダン明けを祝う犠牲祭。

アッラーが、おまえの一番大切なものを差し出せ、とイブラヒムに要求した。
イブラヒムは苦しみながらも自分の息子を差し出した。
その忠誠心に心打たれたアッラーは息子の受け取りを拒否し、その代わりとして動物を差し出すようになった。これが犠牲祭の由来。

バクリー・イードの数日前からあちこちに繋がれはじめる山羊たち。
己の運命も知らずに呑気に餌を食べ、呑気に鳴いていた。

その日の午後。
ムスリムエリアを通ると、繋がれていた山羊は全て姿を消していた。
石畳は水で洗われてはいたが、大量の血を吸って変色し、まだ血の匂いが充満していた。
山羊たちは、生け贄という役目を全うしたということだ。

 

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ある日、私は生け贄台の上に置かれた。本当に、突然に。
ああ、そうだったのか、と私は瞬時に理解し、ナイフで首筋を切られた山羊たちを思った。
だったら苦しみは一瞬だ。私は覚悟した。私の運命はそんなものだったのだと。
だが、彼はもっと残酷だった。私がどこにも逃げないとわかった上で、生け贄台の上に放置した。

早く逃げなさい、今ならまだ間に合うから。通り過ぎる人は私に言う。
私は力なく首を振ることしかできない。逃げ出すことなどできないのだ。ペットのように連れてこられ、ペットのように扱われていたのだ。野生なんてとっくに無くしてしまった。

ただここにいることしかできない私は、だんだんと壊れ、自分を見失っていく。
一思いに首筋を切って、と頼んでも、彼は私の声など聞いていない。もう一度必死に叫ぶと、振り返りもせずに
「悪い、集中させて」
とだけ言う。仕方なく私は黙る。黙りこんで、役目を全うした山羊たちを羨む。

あまりの辛さに自ら首筋を切ろうとすると、彼が止めにくる。
「それは絶対にしちゃいけない」
あなたが私を生け贄台に置いたのに、なぜあの山羊たちのように役目を全うさせてくれないの?お願いだから早く楽にして。だって最初から私を生け贄にする気だったんでしょう?
「そんなことはない。ただ、途中でわかったんだ。生け贄にするなら君だってね。
君がここで苦しんでのたうち回っていることが大事なんだよ。そうすれば僕にその感覚が伝わってくるんだ。わかってもらえるかな?」
そんなこと、わからない。わかりたくもない。

「君に逃げる自由はもちろんある。君が逃げても僕は引き止めないし、追いかけもしない」
いつもと同じ声のトーンで彼は言う。
もし私が逃げたら、他の生け贄を探し出すの?
「わからない。ただ今言えるのは、君より生け贄にふさわしい人はいない、ということだよ」

私は全身の力が抜け、だらりと生け贄台の上に横になる。
それを見た彼は少しだけ満足そうに、自分の場所へ戻っていく。くすぶっている何かを形にするために。創るために。

私は、そのための生け贄。一番大切なものの代わりに差し出される生け贄。
ここでのたうちまわるのが私の役目。

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雑文とふらふら写真。今日もどこかで生きてます。 I'm always being on the road.

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