見えない水槽

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私はいつの頃からか水槽の中にいる。音も聞こえない透明な水槽に閉じ込められ、毎日水槽の中からぼんやりと外の世界を眺めている。

水槽の存在を外の人達は全く知らない。水槽の中に私が閉じ込められていることにも気づいていない。透明な分厚いガラスに遮断され、一切声が届かないことも知らない。

だが、透明なせいで、私がそこに存在していることだけは見えているらしい。
なぜあの人は何も話さず、あんなところに1人で立ち止まっているんだろう、と思っているに違いない。よくわからないものには近寄らない。君子危うきに近寄らず。素晴らしい言葉だ。ちらっと見ては、目が合うと慌てて目をそらして立ち去っていく。

時々気まぐれに近寄ってくる人はいるが、分厚いガラスに遮断されて会話ができない。私が必死に声を荒げて話しかけても、その声は届かない。だから首を傾げて結局その場を去っていく。コミュニケーションを取ることができない私は、そこにいないに等しい存在だ。

こんな水槽さえなければと、何度も必死でぶち壊そうとしてみた。けれどあまりに分厚くて、あまりに頑丈で、私の力では到底ぶち壊すことはできなかった。一体、いつ頃からこの水槽は、こんなに分厚く頑丈になってしまったのだろう。

水槽の中にあるのは、圧倒的な孤独、それだけだ。

きっと何も見えなければこんなに孤独は感じない。全てを諦めて朽ち果てるのを待てばいいだけだろう。だが水槽の中からは、たくさんの人が、忙しそうに、楽しそうに、ゆったりと、笑いさざめきながら通り過ぎていくのが見える。だから孤独を感じるのだ。

水槽の中から眺める以外にどうすることもできない私は、誰にも見せるあてのない文字を書き連ねる。自分の存在意義というものを確認するかのように、ひたすら書き連ねる。だが、書き連ねたところで、誰にも見せることもできない、読んでもらうこともできない。これは単なる自己満足と、己の生存記録、それだけだ。それでも何もしないで孤独にのたうちまわるよりはいくらかましな気分でいられる。

それでもほんの少しだけ希望を持つこともある。
いつか誰かがこの水槽の存在に気がついて、一緒にこの分厚いガラスをぶち壊してくれるかもしれない、という儚い希望。そうすれば私だって、外の世界を楽しそうに、誰かと話しながら歩けるかもしれない。

そんなことを思いながら、今日も私は水槽の中から外を眺め、圧倒的な孤独の中で、誰にも見せるあてのない文字を書き連ねて過ごす。

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雑文とふらふら写真。今日もどこかで生きてます。 I'm always being on the road.

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